選択は苦痛である
選択は苦痛である。
中国に3年間住んでいたときは、欲しいものがなく、服も靴もほとんど買わなかった。なければ、あるものでやっていける。
スーパーに行っても初めは生野菜は怖くて買えなかった。そのうち開き直ってちょいちょい買うようになった。
納豆は日本製品の冷凍ものが一種類あったのでそれを毎回利用した。
アイスクリームはガルガリ君が200円もしたので、中国製品を買っていた。
ものによっては選択の余地がなくて、あるもので嫌ではないものを買っていた。
日本に帰るとものが溢れていた。スーパーに行けば新鮮で安全な野菜。納豆もアイスクリームも安くて美味しそうなものが何種類もある。帰国後最初の買い物では、1時間以上費やしてそれでも決められなくて楽しいよりも疲れてしまった。こんなになくていいとさえ思った。
今朝週刊新潮で藤原さんの記事を読んで、帰国したての感覚を思い出した。
そうなのだ、選択は苦痛な場合がある。
進路だって、私が中学生の時は学区制で進学校は一校に決まっていた。お金がないから県立しか選べなかった。
そういえば誰かが言っていたなあ。結婚相手は嫌じゃない人ならいいと。