アメフト問題3
言葉の解像度。
これで解説していた大学の先生がいた。
20歳の大学生。監督とコーチ、今日の学長。
一番言葉の解像度が高いのは、大学生だったと。
いつ何があって、どういう状況だったか、その時自分はどう思って行動したか、きめ細かい発言をした、きちんと語ったと。だからみな、信じるし心を打たれたと。
一方監督もコーチも学長も解像度が低い、鈍い言葉でしかしゃべっていない。。何が言いたいのか、はっきりしない。
コメントを差し控えるとか、わたしのいった言葉と違う、記憶にないなど。
解像度は実験等、科学で使うものだけれど、言葉にも使えるのですね。なるほどです。
私も必要な時、ちゃんと解析度の高い言葉を使えるように心がけよう。備えよう。
アメフト問題2
いやあ、まだまだ沈静化しないアメフト問題。
20歳の加害大学生。60過ぎの監督。30歳のコーチ。被害者の父(市議会議員。通りで人前で話し慣れてると思った)。訳の分からん逆ギレした司会者。関学のコワモテ監督。いろんな人が出て来ました。
日大は、監督もコーチも司会者もひどすぎます。
解釈の違いとうい言葉にも無理があります。自己弁護に走っていて見苦しいです。
まともなのは大学生だけに見えました。記者会見を見る限りは、正直に真摯に答えているように見えました。したことは悪いけれど、あれだけ一生懸命答えていたのは立派ですし、わるい人には見えませんでした。むしろ、愚直だったのではないかと。
一歩間違えば、善人が悪人という立場になるように思います。
監督やコーチの言葉は、響いて来ませんでした。
20歳の大学生が、この騒動をくぐり抜けていい生き方ができることを望みます。
アメフトのこと
この頃きになるニュースは日大アメフト部の反則プレーのことだ。
今日は監督とコーチが緊急会見をした。昨日は反則行為をした二十歳の選手がした。
そもそも最初の会見やらインタビューは、された側の関西学院の監督だった。反則の動画が話題になってのことだった。その後、日大の監督、された側の父親、そうしての昨日の日大選手、今日の日大の監督とコーチだ。
昨日の会見の言葉や態度は真摯で誠実に感じた。
今日のは、、、前の印象が悪すぎて、監督とコーチは自分の都合のいいように話そうとしているように思えてならない。今日の会見は誠実にしようとしているのだろうけれど。「正直に言うと」とか、「弁解はしません」という言葉も空々しい。
もっと早く真実を伝えたり、断りを入れたりするべきだった。タイミングって大切ね。真実を見極めるのは難しい。自分目や耳を鍛えておかなければ。
日帰り東京
朝、5時に目が覚めたので東京へ行きました。
前からどうしようかと迷っていたのです。近藤先生の文化講座が千石図書館であるのでよかったらと誘われていて。仕事も忙しいし、日帰りしかできないなあと。
いつもは飛行機で行っていましたが、新幹線で行くのもいいわあ。本が読めるし、丸一日遊べました。
7時過ぎに倉敷駅をでて、東京駅に着いたのは11時前。お土産物屋や本屋を物色して外に出るといい天気。赤煉瓦の美しい駅です。皇居周りをちょこっと散歩。
パワースポットです、皇居は。善き人たちが住んでいるのです。
2時からの講座にあわせて移動。初めて訪れた千石の街は普通の街でした。
近藤先生は体調が悪いらしく、階段も辛そうでした。しかし、お話はやっぱり面白。い。1時間半の話は半分以上は知っている話でしたが何度聞いても面白い。また通信を書かなきゃ。
講座の後、先生とお茶しました。しかもパレスホテルのラウンジで。1,300円のコーヒーご馳走になって。ハイソ。
ああ、楽しかった。6時過ぎの新幹線に乗って帰りました。
東京駅の地下街で素敵な時計を買いました。18,000円也。
駅弁買って食べました。11時に我が家についてすぐ寝ました。充実の一日。やっぱり東京楽しい。近藤先生のお話が聞けて嬉しい。有難や有難や。
昭和
姪っ子が、自分の母親(私の妹)の子供の頃の写真が見たいと行っていたので、探してみた。あった。いとこが集合した写真。
高校生になった姪っ子は、自分の母親の子供時代を見て、自分にそっくりなことを発見し「将来はああなるのか、、、」とつぶやいた。
十代二十代の頃の私を見て「なにがあったん?」と。は?なにか不思議ですか?まあ、今より20キロばかり痩せてましたけれど。別に何もありませんよ。自然の成り行きですけど?
昭和のにおいがプンプンする。私の父は長男だったし、祖母がいたので正月やお盆には本家である我が家に沢山の親戚が集っていた。
年末に親戚総出で餅つきをした。男衆がぺったんぺったんついて、女たちは臼の中の餅を返したりもち米を炊いたり餅を揉んだりしていた。子供達も餅を揉んだものだ。初めは下手だったけれども長ずるにつれて上手になっていった。
薄暗く寒い土間のような場所でオレンジ色の電球をつけて作業をしていた。もち米が炊き上がるにおい、蒸気、掛け声、もうすぐ正月が来るワクワク感とあいまって忘れられないひとコマだ。
この写真は服装からして正月だろう。オシャレをしている子もいる。左端のあっちゃんは、母親も本人もオシャレだった。それぞれにしあわせな子供時代を過ごした。祖母は私が大学生の時に亡くなった。そうするとだんだん、親戚が集まる回数も減って来た。多分20年余り我が家に集まっていたが、私が社会人になった頃は、いとこ達が集まることもなくなってきた。
そんないとこ達も今では母親父親になり、それぞれの家庭を持っている。世代はすっかり代わり、いとこ達が集まるのを眺める立場になっている。
私はそういう母の立場にはなれなかったけれど、十分幸せだ。妹が産んでくれたので両親は孫を見ることもできたし。ありがたい。
幸せをもらって生きてきたから、次の世代にちゃんと幸せを伝えたいと思う。そして両親に返していくことも。