林真理子さんの講演会
2ヶ月前からチケットを買って楽しみにしていた林真理子さんの講演会に行って来ました。
総社は偉い。こんな人を呼んでくれるなんて。しかもチケット代は2千円ですよ!前3人分の講演で。前回のアムダの方も前々回の料理家の土井さんも楽しかった。しかし、私にとっては今回の林さんがメインです。
6時からの会に5時前からもう行列ができています。まあ、私も行きましたが。一番前に並んでいる集団はいかにも林さん好きなちょっとお洒落な奥様の団体。私は15番目くらいです。それとて、知り合いの人がいて入れてもらったので、本当は二十番目くらい。
5時半の開場の頃には上の写真の2倍くらいの列になっていました。
開場とともに一番前の席をちゃっかりキープしたのは、やはりおばさん力のたまものです。
入り口で切符にスタンプ押すおばあさまが前の人に「これはやっぱりそのままでは、、、」などと言いながらゆっくりなので、「早く入りたい。早く入りたい」とつぶやきつつイライラしましました。品格が出ますわね、こういうときって、ほほほほ。しかしまあ、おばあさまがするお仕事ではないのではと思います。
こんなに急いだけれど会場は満員というわけではありませんでした。この会自体それほど宣伝していませんからね。
6時から1時間半たっぷりお話を聞けました。
まずは被災のお見舞いを、それから会場に行けている花のことを、そして、大河ドラマになっている原作「西郷どん」の話へと進んで行きました。
林さんはブルーの上着に白いブラウス、紺のスカートでした。ブローチやイヤリングもなくきちんとしたかっこうで、被災に気を使われているのかなとも思いました。ネイルの色が秋らしくて綺麗でした。
話の中で特に面白かったのは、金持ちの人たちの取材をした時の話です。そういう関係者を集めて食事会をして話を聞くのだそうです。お金は林さん持ちで。何千倍も稼いでいる人たちの分を。そうやって得た話の中で8割は使えないけれど、2割くらいは「おやっ」と思う話があるそうで、小説を書くためにそうやって取材をしているのねえと思いました。
歴史小説を書くにはすごくお金がかかるそうです。その道に詳しい人を三、四人同行させて取材に行くから。出版社はそれをしてくれるけれど、新聞社はそういうケアーは全くないそうです。私もなんか取材してみたいなあ。美女とか、美男、とか、整形美人とか、スパイ、とか。
美人の暮らしを描いた「ビューティキャンプ」面白かったな。小説って自分の知らない世界がわかっておもしろいわあ。
マラウイの朝日と夕日
ンサル村には電気がないから夜明けとともに1日が始まる。太陽が昇るのが嬉しい。
んでもって、自分の影がこんなに長く映る。遮るものがないのだ。
朝散歩して、誰かれなく挨拶をする。
井戸水を汲みに行く人、どこかへ行く人、たいてい皆歩いている。時間がゆっくり過ぎていく。サッカーゴールもここでは輪っかだけ。だからどこまでも転がって行く。そこらへんに鶏やヤギもいる。はあ、のどかだ。
そんなンサル村を3日で離れて、首都のリロングエに行った。ホテル朝食はふつうに美味しかった。
川近くのリウォンデで見た朝日も美しい。
ただの朝日が毎日美しい。太陽に感謝する。
こちらの朝食はシンプルでした。
リウォンデでは、サンセットクルーズを楽しみました。日没も当然美しい。
川の中にいるのは、カバ。
太陽ってすごいね。
マラウイ3
ンサル村で食べたもの。毎日ブログは無理なので、心を入れ替えて、週末ブログを書こう。
マラウイの続き、食べ物について。
写真は、マラウイの主食シマを作っているところ。
これができあがり。
シマは、トウモロコシの粉を煮て作ったもの。味は、、、まあ、まずくはないけど、お代りしようとは思わない。ちょっと酸っぱさが残る。
お店でも食べた。これ。野菜もついて80円くらいだっけ。
3つあるけど、1つで十分だった。手で食べるから店内に手を洗うとこらがある。
違う店で食べたのはこれ。
パンとミルクティー。大は50円、小は40円。
メニューも店自体もいたってシンプル。
ここンサル村に1年間住んでいるところユイちゃんは、ンサルのスタバと言ってました。
ユイちゃんは、ここで食べるのは頑張った時の自分へのご褒美だと。たまにパンが作りたてだとすんごく美味しいとも。いいねえ、この慎ましさ。
となりの店も同じ作りで同じメニュー同じ値段。競争はしないみたい。
マラウイにて
今、マラウイにいます。同僚ユイちゃんが2年間青年海外協力隊で来ているから遊びに来ました。もう一人の同僚きよみさんと共に。マラウイはアフリカにある小さな国で最貧国とも言われています。
電波事情が悪いせいか写真が入れられません。帰国してから追加します。
いやいや遠かったマラウイは。飛行機は成田から仁川まで2時間、そこからアジスアベバまで12時間ちょい、そこからマラウイのリロングウェまで3時間ちょい。のべ19時間のフライトでした。
同行者のきよみさんは長旅に疲れてぐったりし、リロングウェ到着と同時に吐いていました。私は元気でした。
リロングウェのカムズインターナショナル空港でアライバルビザを取るのに2時間近く並んで更にぐったりです。そういえば成田でもチェックインに1時間近く並びました。旅はこういう待ち時間があります。
しかし、空港で会うはずのユイちゃんがいません。がーん!Wi-Fiも飛んでおらず、連絡も取れず、1時間経っても会えません。12時40分に着いたのにビザで2時半になり更にもう3時半。結局宿泊するJapanese gesuthouseへタクシーで行きました。
30分かけて街へ行き35ドルでした。が、そこにもユイちゃんはおらず、オーナーまでおらず、途方に暮れかけているとオーナーが帰ってきてユイちゃんとも連絡が取れました。
なんとユイちゃんは空港にいました。時間をお互いに伝えておらず、というかお互いに思い込んでいて、ユイちゃんは4時到着と思っていたのでした。そうして、guesthouseになんとか会えましたあ。空港での感動の再会とは行きませんでしたが嬉しい。
スタートからいろいろありましたが、楽しくなりそうです。
平成30年7月7日の
するにも渋滞でした。まさかここまで大きな水害になるとは。七夕の日に実家から写した玉島の様子。
1週間後の14日には、すっかり元にもどっています。
しかし、反対方向の真備は、もっともっとすごいことになっていて、1週間経ってももとにはもどりません。
連日、ニュースのトップに真備が出てくるなんて、予想もしていませんでした。
帰宅するにも土手は渋滞で、いつもは20分の道のりが80分かかりました。
対岸の真備はもっとでしょう。テールランプが続いています。
この渋滞は1週間ほどで随分緩和されました。
1週間後は三連休だったのでボランティアも迎え、片付けが本格的になりました。私も微力ながらお手伝いしました。が、暑い、暑い。無理はしません。つづく。
平成30年7月豪雨
7月7日土曜日の高梁川の写真。
こんなことになるとは思っていなかった。この頃はまだ軽く考えていた。
6日金曜日は特別警報が出て学校は休みだった。特別警報なんてものを聞いたのは初めてだった。赤ではなく紫色だ。
昼前の職場である学校が避難所になると連絡があって、準備をしたが誰も来る様子はないし、多分大丈夫だろうと思っていた。体育館のトイレが汚れていて、担当は今まで何をしていたんだと文句を言いながら掃除をした。
昨日から雨はずっと降り続いていて、警報も出ているので明るいうちに帰った。と言っても7時ごろ。テレビではずっと特別警報が出ている。
同じ日、1995年地下鉄サリン事件の実行犯7人が死刑になったニュースも流れていた。なんだか変な日だった。
夜、10時ごろ友人と電話で話していたら、友人が住む総社に避難指示が出たから避難するという。へ?避難?岡山で?
私の住む倉敷は(真備町ではない。真備町の隣車で10分足らずのところ)まだ勧告だった。不安だけれど、パジャマから普段着に着替えていつでも出られるような格好になって、寝た。そう、寝たのだ。
夜10時半ころ、雷が落ちたような音がした。ラインのやりとりで、総社にあるアルミ工場の爆発だと知った。倉敷まで聞こえるなんてと思っていると、翌日もっと離れた玉野や西大寺でも聞こえたらしい。
ああ眠い。ひとまず閉じる。