平成30年7月豪雨
7月7日土曜日の高梁川の写真。
こんなことになるとは思っていなかった。この頃はまだ軽く考えていた。
6日金曜日は特別警報が出て学校は休みだった。特別警報なんてものを聞いたのは初めてだった。赤ではなく紫色だ。
昼前の職場である学校が避難所になると連絡があって、準備をしたが誰も来る様子はないし、多分大丈夫だろうと思っていた。体育館のトイレが汚れていて、担当は今まで何をしていたんだと文句を言いながら掃除をした。
昨日から雨はずっと降り続いていて、警報も出ているので明るいうちに帰った。と言っても7時ごろ。テレビではずっと特別警報が出ている。
同じ日、1995年地下鉄サリン事件の実行犯7人が死刑になったニュースも流れていた。なんだか変な日だった。
夜、10時ごろ友人と電話で話していたら、友人が住む総社に避難指示が出たから避難するという。へ?避難?岡山で?
私の住む倉敷は(真備町ではない。真備町の隣車で10分足らずのところ)まだ勧告だった。不安だけれど、パジャマから普段着に着替えていつでも出られるような格好になって、寝た。そう、寝たのだ。
夜10時半ころ、雷が落ちたような音がした。ラインのやりとりで、総社にあるアルミ工場の爆発だと知った。倉敷まで聞こえるなんてと思っていると、翌日もっと離れた玉野や西大寺でも聞こえたらしい。
ああ眠い。ひとまず閉じる。